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「ウミユリの運動」new4/12/06

本川達雄先生は、ナマコ、ウニ、ヒトデなどの棘皮動物の
研究を、ずっとしていらっしゃる。そのうちの一つ、ウミユリは
深海性のため、なかなか観察が困難だと思われていた。

しかし最近、先生の研究室で、ウミユリを飼育して、観察、
研究できるようになった。その結果、驚くべき発見をされた。

ウミユリは海の底に固着して、動かない動物だと思われて
いたが、実際に飼ってみると動く。腕を使って這い上がり、
巻枝というフック状のもので、好みの場所に体を固定させ
る。巻枝には筋肉はないが、それでも動いてからみつく。

腕には筋肉があるが、それを取り除き、結合組織だけにし
た標本を作ったら、それでも動き、力を出した。結合組織
はほとんどが細胞外成分で、それが力を出したとしか考え
られない。「細胞外運動」という全く新しい現象を発見され
たらしい。現在そのメカニズムを調べていらっしゃるとのこと。
(本川先生のホームページより。)

単純な構造の動物が、どのようにして意志と目的を持ち、
それを自分の身体の構成部分に伝え、環境に対して適
切な行動を取りうるのだろう?
(中村誠氏 投稿)

Posted by 中村誠 at 2006年11月12日 10:31
「ゾウリムシの心?」
ゾウリムシはたった一つの細胞で体ができている生物。
その一つの細胞で生存に必要な全てをこなしている。
先端部分をつつくとバックするし、障害物にぶつかると
方向転換する。後ろをつつくと、速度を上げて逃げる。
(本川達雄著 「歌う生物学」より。)

知覚器官もましてや脳もないのに、意志をもって行動
している。心とは脳に宿るとは限らない?
(中村誠氏 投稿)
Posted by 中村誠 at 2006年11月12日 10:32
富士登山競争参加記2006

私は、7月28日(金)に第59回富士登山競争に参加してきました。過去三回
出場したのですが、いずれも八合目の関門で失格してしまいました。

富士吉田市役所前を朝7時半にスタート。富士吉田市内を通り抜け、浅間
神社の脇を通り、中の茶屋を通過して、馬返しという登山口まで約11qの舗
装路と林道。ここまでは道幅もあり、車も走れる。ただスタートからの標高差は
約670メートル。箱根駅伝の往きの5区は箱根の山登りと言われるが、約20q
余りを600メートル登る。そのおよそ倍近い急な登り。ここから登山道に入り、頂
上をめざす。馬返し、五合目、八合目に関門が設けられ、時間制限がある。
約3000人が出場し、完走するのは四割ぐらいか? 多くは八合目で引っかかる。

レースの二週間くらい前から、左足の踵が痛かったが、このレースのためにもう前
から27日(木)、28日(金)の休みの届けを会社に出していたし、ビジネスホテルの
予約も5月から入れていたし、今まで調子が悪くて、びっこを引いて歩くような時
でも、いざ走ってみるとそれほど支障がなかったことも何度もあったので、少しは
不安もあったが、ままよと出場しました。

今までは出たことのない市役所の中庭で開かれた開会式にも参加し、終わって
から、スタート地点の道路に出てみると、もうすでに出場者たちが長い列を作って
いる。どうせゆっくり走るつもりだったので最後尾に並ぶ。スタートの合図があってか
ら、本当のスタートラインを踏むまでのラグもせいぜい2分ほど。走り始めてからも
適当にランナーが散らばって自分のペースで走れる。天気もよく、汗は出るけど
走り易い。

浅間神社の森を抜け、中の茶屋までも順調。馬返しの手前の急な坂で二度
程歩いたが、それも短い距離で、大きく深呼吸をして、調子をととのえる。時間
も一時間10分程で、スタートのロスを考えるとそれほど悪くない。過去必ずここま
でで足に痙攣を起し、そのあとレースの最中何度も繰り返し痙攣が起きて、辛い
思いをしたが、今年は幸いそれが起きない。

一番最初のレースの時は、ロードでこんなに辛かったら、更に急勾配の登山道
に入ったら、どんなにしんどいことかと考えていたが、いざ実際に登山道に入ると
道幅も狭いし、選手も多いので、走るというより早足で歩くようなものなので、思
っていたより楽なことが分かった。かといってここもレースはレースなので、余り人に
追い抜かれるようではまずい。

今年は、その登山道に入って初めて異変に気付いた。走る前左足の踵が痛か
ったが、ロードでは支障を意識することなく走れた。それが登山道に入ってから、
足首の柔軟性がなく、走りにくい(歩きにくい)、急な勾配でも思うように前傾姿
勢が取れず、体が突っ立ったままの様で走りにくいことを自覚した。ほとんどのラ
ンナーに追い抜かれる。それでも休まず、歩き続ける。スピードは出せないが、
そのぶん体は楽。木立の中を歩いているので余り暑くはないが、汗はひっきりな
しに出る。

五合目に近づいて来ると、ポイントごとに立っている係員が、「五合目の関門
まであと何分」とか「あと何メートル」とか、ランナーたちに声を掛け始めた。でも
何とかギリギリでも五合目はすり抜けて先に進めると楽観していた。だが五合
目の佐藤小屋の前に出る登り坂を上がったところに関門があり、私の一人先
の男の人の前にオレンジ色のバーが下ろされて、進むのを止められてしまった。
私には「二秒オーバーです」と告げられた。無念というより、少しほっとした。この
まま八合目まで行くのは辛かったし、五合目からのほうが下に戻りやすい。

五合目の売店、食堂が並び、バス停のある広場まで歩く。同じように失格し
た人たちが三々五々と固まって歩いている。二人連れの男性のうちの一人が
「去年は出場できなかったけど、一昨年は完走したんだ」と話している。完走と
五合目失格も、それほど絶望的な距離があるのではないのではないかと密か
に自分を慰める。五、六人の中年の男女のグループのうちの一人の女性が
「今年は靴が綺麗なまま帰れるわね」と言っている。確かに八合目、頂上から
下山道を降りて来ると、足首まで埋まる小砂利のなかを走るので、靴は傷む
し、汚れる。顔も土埃で泥だらけになる。五合目までだとほとんどそれがない。

一軒の食堂に入り、主催者から貰ったおにぎりを食べ、缶ビールを飲む。また
来年以降の挑戦を期し、ささやかな夏休みを終える。

2006.7.30.(日)

(中村誠氏 投稿)
Posted by 中村誠 at 2006年11月12日 10:33
マックス・ウエーバー入門

本川達雄先生は、6月10日のご講演「生命の時間」の中で、「科学というのは世俗化したキリスト教なんです」とおっしゃった。

コンピュータもインターネットも人工衛星もバイオテクノロジーもすべて近代西欧文明の生みだしたもの。古代のインド文明や中国文明、あるいは中世のサラセン文明が、どんなに高度に発達していたといっても、決して今日のような科学技術文明を出現させるようなことはなかっただろう。
人権主義、民主主義、資本主義、科学的思考、公衆衛生、福祉的発想ほか、近代西欧から発した、あらゆる我々の生活を律するものが、システムとして世界全体を覆おうとしつつある。

マックス・ウェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、近代資本主義の担い手を生みだしえたのは、キリスト教のプロテスタンティズム、とりわけカルヴィンの重んじた「予定説」(神による救済は、あらかじめ神によって決められており、人間の側でいくら祈ったり、善行を積んだり、祈祷をしたりすることには何の意味も無い)の信仰からであるとした。

教会や牧師や儀式に頼ることは何の救いにもならない。ただ神の命令である「隣人愛」を遂行するために、日々まじめに合理的に、現世でのつとめを果たすしかない。それは決して自己の救済の条件ではないが、もし自分が神に選ばれしものであるのなら、それはひたすら神の命令の実行の中から明らかにされるであろう。

こうして世界は「魔術から解放」された。中世的な教会の権威、迷信や呪術、魔女や錬金術の世界から、理性的で、論理的、合理主義精神の溢れる、明快な昼の世界が開かれた。

ただ一回限りの個性的なものとして歴史をとらえる考え方は、ユダヤ・キリスト教に特有のもの。それ以外の宗教や地域においては、個々人の生や死は絶えざる循環のうちに引き取られていく。霊魂の輪廻転生の発想はインドやギリシャにもあったが、そういった多少とも呪術的な方向を伴う考え方を排除したところに、ユダヤ・キリスト教の特異性はあった。まさに歴史的な過程における一回限りの事件を通じて神の御業は現れる。
(「マックス・ウェーバー入門」牧野雅彦・平凡社新書310 2006年2月10日 初版第一刷を勝手につまみ食いして。)

科学というものも、さまざまな限界や矛盾を含んではいるが、現時点では、その論理性、合理性、普遍性、妥当性から、世界中の多くの人々に受け入れられている。たとえ、それが「こころ」や「私」という難問に何の手掛かりを与えられていないにしても・・・・・・。

2006.7.30.(日)
(中村誠氏 投稿)


Posted by 中村誠 at 2006年11月12日 10:34
「心脳コントロール社会」小森陽一(ちくま新書605)2006年7月10日第一刷。

子供の頃、林髞(はやし たかし)という慶応の医学部の先生の書いた「頭のよくなる本」というカッパブックスが大ベストセラーになり、「パンを食べると頭が良くなる、ご飯を食べるとバカになる」というのを真に受けて、友だちに吹聴したことがある。少し大きくなってから、あれは余剰の小麦を日本に売るために日本人の食生活を変えさせようというアメリカの思惑の一環だったのではないかという疑問を抱けるようになった。

こんにち、単に商品の広告だけではなく、政治の世界でも、人々の意識を操作する技術が進み、知らず知らずのうちに自分の考えだと思っていることも、外部からの影響を受けた結果かも知れず、うかうかできない。

「20世紀の「人類学や心理学、文学など」の「学際的」な研究成果のすべてが、「心脳マーケティング」の手法として利用されている、ということなのです。」「自分で情報を生産しなくても、すでにある情報の素材を、断片のまま放置するのではなく、「なぜ?!」という問いによって因果論の関係でつなぎあわせていけば、かなりのことがわかるようになります。このように情報を結合することによって、再生産するだけでも、受動性を克服していくことは可能です。」

小森氏は本来は日本近代文学の研究者。
「私はこの「ヨミガエル」という言葉がとても好きです、なぜなら黄泉の国、すなわち死の世界から帰るという意味を持っているからです。」
小森陽一氏のことをWikipediaで調べると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A3%AE%E9%99%BD%E4%B8%80
なかなかユニークで魅力的な人柄のようです。

だいぶ昔のNHKの番組で、小森陽一氏に町永俊雄アナウンサーが質問しているのを見て、ずっと印象に残っていた。チェコから日本に帰国した子供の頃の小森氏は初めのうち頭の中ではロシア語で考え、それを日本語に翻訳して
話していたのに、ある朝目が覚めると突然頭の中が日本語に切り替わっていたという話だった。そのエピソードは次の本にも書かれている。
「小森陽一 ニホン語に出会う」小森陽一(大修館書店)2000年4月10日初版。
2006.10.7.(土)

(中村誠氏 投稿)
Posted by 中村誠 at 2006年11月12日 10:35
「脳のなかの水分子 意識が創られるとき」(中田力)
紀伊国屋書店2006年8月28日第一刷発行。

著者は脳神経内科医で、機能的MRIの開発者の一人。アメリカで臨床医を勤めつつ、日本では
新潟大学の統合脳機能研究センターで、脳の研究を進めている。

麻酔には全身麻酔と局所麻酔があるがそれに用いられる薬剤は全く違う。局所麻酔は、特定部位の神経伝達を断つ事によって成り立つが、全身麻酔は大脳皮質の機能を抑え意識そのものを取り去る。だが全身麻酔薬は、その作用機序がよく分かっていない。コカインや向精神薬など大脳に作用する薬剤は、脳の中の特別な受容体に結びついて効果を発揮するが、全身麻酔薬が作用する受容体は見つかっていない。

ライナス・ポーリングは1952年、ボストンでの講演会で、キセノンが効果的な全身麻酔薬であるという
話しを聞いた。キセノンは不活性ガスで安定した物質であり、どんな物質とも化学反応を起こさないはず。不思議に思ったポーリングは、その疑問を何年か心の内に抱えていたが、ある仮説を思いついた。それが「水和性微細クリスタル説」。中田氏らはそれを「水性相理論」と呼ぶ。

ポーリングは、キセノンを含むすべての全身麻酔効果のある薬品が水のクラスター形成を安定化し、小さな結晶水和物を作りだすことを見つけた。そして水分子と水分子がお互いにくっつきやすい状態を作る事が、全身麻酔の機序であると主張した。それはまた臨床医によく知られている全身麻酔薬の大気圧依存性をも、うまく説明できるものであった。

そこから中田氏は、「人間の意識がある」という状態が、脳の水分子が示す何らかの現象と関係があるという推測を導く。

ポーリングは晩年、ビタミンCの大量摂取によって、ガンや風邪を予防できるという「体内成分調節医学」を唱道し、むしろ彼を科学者として尊敬していた人々をがっかりさせた。(「ポーリングの生涯 化学結合・平和運動・ビタミンC」(テッド・ゲーツェル ベン・ゲーツェル 石館康平訳)朝日新聞社1999年10月5日第一刷発行。)

だが「こころの謎」は大きく深い。どんな大胆な仮説でも大胆すぎるということはない。

井深大(ソニーの創業者)の素朴な疑問・・・・「画面の真ん中に一つ黒い点がある。人間は一瞬にしてそれが分かる。しかしコンピュータは左上から順次スキャンして右下まで来てから、初めて真ん中に黒点があったと分かる」。ニューロンを流れる信号だけで脳の働きを説明出来るのだろうか? 「一瞬にして全てが分かる」という認識を支える生理的基盤も、また別の形であるのではないだろうか?

2006.11.11.(土)
(中村誠氏 投稿)
Posted by 中村誠 at 2006年11月13日 16:12
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